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母子健康手帳とは?

1948年当時の母子手帳の表紙

 最初にお話ししたいのが、母子手帳は日本生まれということです。母子手帳というアイデアができたのは日本が最初でした。1948年(昭和23年)、当時はまだ戦後間もなく、子どもたちが栄養失調に悩み、感染症も多い時代でした。その時、妊娠中のお母さんと生まれた子どもの健康を守る手帳として、世界ではじめて考えられたのが「母子手帳」(1966年より母子健康手帳ですが以下全てを母子手帳と呼ばせていただきます)でした。
 当初は母子手帳を持つことで、妊娠中や授乳中のお母さんは優先的にミルクや砂糖の配給をもらうことができました。配給手帳という意味合いにおいても母子手帳は大きな役割を果たしました。
 日本が貧しかった時代に、むしろ、貧しかったからこそ、お母さんと子どもの健康をセットにして考えようという発想をした当時の日本の厚生省の人たちがいたわけです。いまから振り返って考えても、当時の日本人の発想には素晴らしいものがあったと思っています。

切れ目のないケアをサポートする母子手帳

 母子手帳の役割は、妊娠中、出産、新生児、そして、乳幼児、それぞれの時期を越えて母子をサポートします。妊娠中は、助産師さんや産婦人科のお医者さん、出産は多くの方が病院(もしくは助産院で出産する人もいます)、新生児の頃は自宅に保健師さんや助産師さんが訪問してきてくれます。予防接種は、小児科のクリニックに出かけます。
 よく考えてみると、この「妊娠」、「出産」、「小児」という時期は、場所も違うし、専門の先生も違います。いろんな方のお世話になっているわけです。各々のクリニックや保健センターには、個人の医療や健診の記録があります。でもそれは個々の医療機関が保存している記録であり、引っ越した場合や転院したときは、以前の予防接種のデータはわからなくなります。
 母子手帳という形で医療や健診のデータを保護者が持つことによって、異なる場所で、異なる専門家によって、行われた母子保健サービスが、一貫性を持つことができるようになります。これが母子手帳のすばらしい役割です。まさに、母子手帳は、切れ目のない継続ケアを保証するシステムと言い換えることもできます。

母と子の絆

陸前高田市では、乳幼児健診ポスターを避難所や市内のコンビニなどに貼り、母子手帳を利用した乳幼児健診の再開にこぎつけた。

 母子手帳は、母と子の想いをつなぐ絆です。そのことを、東日本大震災の際に改めて認識させられました。2011年3月11日に地震・津波が起こりましたが、3月14日には厚生労働省の母子保健課は、住民票の有無にかかわらず、母子手帳をなくした人はいつでも避難先の自治体で母子手帳の再交付を受けられると決定しました。震災の3日後ですから、この通達はとても迅速でした。実際に母子手帳をなくした人は、まだご自分の生活も大変なときに、母子手帳を取りに市役所に来ました。「母子手帳をなくしたんですけど、母子手帳が欲しい」。ただ、新しい母子手帳をもらっても、内容が真っ白でせつなかったという声もありました。
 岩手県には、震災前から「いーはとーぶ」という周産期医療情報システムがあり、妊娠中や予防接種の記録が、コンピュータ上に保存されていました。これが大活躍しました。岩手県遠野市に避難した陸前高田市のお母さんがもらった新しい母子手帳には、何も記録が書かれていません。遠野市の助産師さんがお母さんの許可をもらって、コンピュータに残っている記録をひとつずつ、真新しい母子手帳に書いてあげたそうです。全部書きあげたときに、子どもの記録が戻ってきた母子手帳を持ったお母さんが涙を流したそうです。
 失った記録を復活することにより、子育ての記憶が蘇り、母と子が歩んできた証しを取り戻したお母さんが感極まって泣いたのです。母子手帳に書かれている記録は単なる数字ではなく、親子の歩みの記録であり、子育てを通じた親子の絆そのものなのです。

母子手帳は行政からのプレゼント

タイの母子手帳はカラフルで楽しい

 行政の立場から見ると、母子手帳は、出産を決意した女性に対して行政が最初に届ける贈りものだと考えることができます。いまの少子化時代にあって、女性が妊娠届を出すために役所へ行き、最初にもらうものが母子手帳です。自分たちの町や市で子どもを産むと決意してくれた女性に対して、行政が最初にタッチできる最高の機会です。
 最近では、母子手帳を渡す時に保健師さんが立会って母子手帳の使い方を説明するという努力が行われるようになってきました。もちろんそういう説明も大事ですが、わが町で子どもを産もうと決意してくれた女性に対する最初の贈りものだと考えると、母子手帳にもっとメッセージ性をもたせてもいいと感じます。厚生労働省が決めた省令様式という決まりきったページだけではなく、各市町村が追加して書けるページもあるのですから、もっと工夫の余地があると思います。
 出産を決意した女性に対する市町村からの最初のプレゼントなのだという視点で、愛情を込めて母子手帳の中身を考えてもらえると、うれしいですね。

学齢期まで使える、切れ目のない母子手帳

愛知県小牧市の親子健康手帳。
小学校入学後も使える母子手帳を初めて開発した。

 今までの母子手帳は、小学校に入るまでの健康記録であり、学校ではまったく別の「わたしの健康手帳」といったものを作っていました。私は、一人の子どもに別々の手帳を配布するのではなく、いまの母子手帳を学齢期になっても使えるようにすればいいと考えています。その理由は、2つあります。
 1つの理由は、子どもの成長は、6歳で区切られるものではないということです。要するに、いままでの母子手帳では体重や身長記録は小学校入学前までしか書かれていません。しかし、6歳までと小学校の入学後の子どもの発達や行動の問題は、つながっています。母子手帳は子どもの健康に関する記録なのですから、6歳で切れるのではなく、小学校に入学後もつながっていく必要があると思います。もう1つの理由は、予防接種です。以前は、ほとんどの予防接種が学齢前に終了していました。しかし、いまは学校に入ってからもいろんな予防接種を受けます。大人になってから過去の予防接種記録を必要とするときは、すべての予防接種記録が必要になります。6歳までは母子手帳、小学校以降は別の記録と形だと、途中で忘れたりなくしたりするリスクもあります。だから、子どもの健康記録は1冊ですべてをカバーできるように、「オール・イン・ワン」でまとめておいたほうが良いと思います。
 2012年4月の母子手帳の改正のときに、大きな進歩がありました。母子手帳のなかで自治体が自由に編集できる「任意記載事項」として、小中学校や高校など18歳までの子どもの身長と体重の表が入るようになりました。小学校や中学校で受ける予防接種も記録できるようになりました。すでに、小学校や中学校でも使える母子手帳を作成していた市町村も少なくありません。これからは、いろんな市町村で、小学校・中学校になっても継続して、切れ目なく使える母子手帳がどんどん普及することに期待したいです。

母子手帳はミラクルだ!海外にひろがる母子手帳

ケニア版母子手帳をもつ母と子
(ケニア・ケリチョー県)

 ミリアム・ウェレさん(ケニア人の女性医師)は「母子手帳はミラクルだ」とおっしゃいます。彼女はケニアの地域やコミュニティで活動されてきた方で、アフリカ大陸の希望の星といわれています。野口英世アフリカ賞の第一回受賞者として日本を訪問するなかで母子手帳と出会い、こんなすばらしいものが日本にはあるのかと感動したそうです。いまもアフリカでは多くのお母さんが出産で亡くなり、乳幼児の死亡も多いです。その状況を改善するツール(道具)として母子手帳はすばらしいといいます。アフリカ大陸に母子手帳を広めるのが、私の生きがいだと言ってがんばっています。
 日本人にとっては、母子手帳はあたりまえのものです。日本の小児科医や保健師さんや助産師さんからみれば、母子手帳は仕事で毎日のように使うものだけれど、とくにありがたいとも思わない。かつて、インドネシアで仕事するまでの私自身がそうでした。私たちは母子手帳を使い続けて、あまりにもあたりまえになりすぎて、ありがたみがわかっていないのかもしれません。そういう時には、外国の方から違う視点での指摘を受けると、いままでもっていた日本の問題点もわかるし、逆に言うと良さにも気づくような気がします。私自身もいまの母子手帳が完璧なシステムだと思っているわけではありません。日本の母子手帳もデータ化したり、障がいのある子どもや外国人のこどもなどへの配慮をしたり、今後変えなければいけない点も少なくありません。
 日本では使い始めてすでに60年を過ぎました。日本の母子手帳のすばらしさを認識しつつ、海外で母子手帳の普及に尽力している外国の方々から学びながら、母子手帳をもっと良いものに変えてく努力をしていきたいと思います。

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